この記事は、cotakaさんのブログの転載記事です。
cotakaさんはメンタルコーチである矢作のクライアントさんです。
矢作のセッションを受けて、5年以上にも及ぶうつ病を見事、完治されました。
cotakaさんが長年のうつ病をたった2ヶ月で完治させた軌跡の全てをこれから連載で語ってくれます。
楽しみにご覧ください。^^
今回は、連載1回目の記事です。
最初に言っておきますが、
感想をブログに書いて欲しいとか、そもそも体験セッションを受けてくださいとかの勧誘は、矢作さんからは一切頼まれておりません。
あくまで僕個人の判断でアポイントメントをとって個人セッションを体験してきました。
書かないと前に進めないと書いたのは、セッションを受けた9日のお昼過ぎからずーっと、そのセッションのことを考えているからです。
自分の考えを整理するためにもブログに書くことにしました。
セッションのお相手
今回、3時間にもわたるセッションをしていただいたのは、ブログthe answerの矢作雅子(やはぎまさこ)さん。メンタルコーチング、メンタルマネジメントをやっている方です。
要は心の癖を変えるセッションです。
矢作さんと知り合ったのは、これもブログ関係で、確か僕のブログに矢作さんが「いいね」をしてくれたご縁からお友達になりました。
そして、お友達になる時のやりとりで、矢作さんがもともと「うつ病」になった経験があるけど、今は克服してお元気であることなどを知りました。
ところで、僕のまわりには、うつ病経験者がけっこういらっしゃいます。
うつ病だったとわかっている方は、病院に行って診察を受けられたということなので、まだ幸運な方たちだと僕は思っています。
誰にも知られず、もしかしたら自分でさえも気づいていない「実はうつ病」の患者さんが、本当は世の中にもっとたくさんいて、それぞれ苦しんでいると思うとなんとも言えない気持ちがします。
「なんとも言えない」じゃずるい言い方ですかね?
なんとかしてあげたいけど、何にもできないもどかしさを感じるってことです。
自分も病気であることは思いっきり棚に上げてますが。
なぜセッションを受けたか?
実は初めこそ、僕は矢作さんをコーチとして意識はしていなかったのですが、メルマガを発行されているのを知り、軽い気持ちで購読を申し込んで読んでいました。
メルマガを読むと、あえて細かいことは省きますが、過去にはかなりご苦労をされたようなのに、ブログでは実にいい笑顔で写っていらっしゃるのが印象的でした。
自分がうつ病になってからというもの、失礼な言い方かもしれませんが、同類の方はなんとなくわかります。
そして、病気を本当に克服したかもわかるようになりました。
僕にはブログでの矢作さんは完全に後者に見えました。
ある夜、布団に入りながらなんとなくメルマガを読んでいたら、体験セッションの募集がありました。
(でもそんなに宣伝という感じではなかったので見落とすところでした。あ、ちがう。その前のメルマガでも見たけど1回スルーしたんでした)。
でも、その夜はなんとなく気になって、僕はもともと人の「こころ」だとか「感情の矛盾」とかに興味があることもあったので、
「ただ返信すればいい」という指示のもと、「ほんとにそんなんでいいの?」と思いながら、えらくそっけない文面で返信をした覚えがあります。
ちょうど家族も帰省中で、時間の都合をつけやすかったのも大きいです。
こういうタイミングとチャンスっていうのは、いつも自分に必要な時に、向こうからやってくると思います。
で、次の日には矢作さんから日程案などが記されたメールが届きました。
感想は「あっほんとにやるんだ。でも返信、早っ」と思ったくらいです。
本当に矢作さんには失礼ですが、この時点では、正直なところそれほど内容には期待していなかったです。
ただ、「なにかいい経験になるといいな」くらいしか考えてなかったです。
セッションの時間がもったいないからということで送られてきた事前アンケートに回答を記入、返送して当日を待ちました。
体験セッションの当日
当日、セッションは東京駅構内のラウンジで行われました。ブログ友達ではよくあることですが、実際に会うのは初めてです。
ご挨拶をすると、なんでも千葉県の九十九里方面からわざわざきていただいたとのこと。
体験セッションにもかかわらず、遠方から来ていただき、また3時間の時間をとっていただいたことにはとても感謝いたしました。
さて、いよいよ体験セッションの開始です。
ところが、体験セッションとはいう名目であるのに、矢作さん、がっつり本気でやってくれました。
それでね、結論からいうと、体験セッションってなんとなくカウンセリングみたいなこと言われて終わりかなぁとか思ってたら、とんでもなかったんです。
僕は、特技は「考え事」っていうくらい、いつもなにかしら考え事をしているのですが、
その時いつもフタをしていた部分が僕の「こころ」にはありまして、
なんとなく、なにかそこにありそうだけど、今からあけたらなんだか大変なことになりそうだから、手はつけないでおこうとしていた部分がずっとあったんです。
で、そこには触れないようにしながら、いつも考え事をしている。
まあ、悩んでいるといってもいいですよ。
自分や周りの状況や反応によって、考え事と言ったり、悩み事と言ったりするわけですが、とにかくずっと考えてた。今より良くしたいと願いながらですね。
どのくらいの時間そうやって考え続けていたとと思いますか?
えーとね。およそ25年ちょい。呆れるでしょ。僕も今回数えてみてびっくりしました。
人生の半分以上、ずーっと微妙に形を変えながら同じ考え事を、僕はしていたんです。
普通は答えが出ないと思って考えるのやめますよね。
でも僕は考え続けることもやめられなかった。
ずっと良くなるように、そんなにも長いこと考え続けたのに、一生懸命行動したのに、
「こころ」のフタした部分に気づかないふりをしてきたツケが、ここ5年くらいの間にいろいろな形をした悪い「こと」や「もの」として、僕の前に目に見える形で出てくるようになりました。
あっ。大事なことを言うのを忘れていました。
他のひとはどうでもいいんですけど、僕、スピリチュアルなものを基本受け付けないです。
がちがちの理屈屋なんで。だから、この話をスピリチュアルな話として読まないでくださいね。
むしろ学問としての心理学的な話です。
矢作さんはどうしたか?
ここですよ。大事なところは。まあ、3時間のセッションの間に、僕が25年以上、考え続けているということに気づかれただけでも十分すごいんですけどね。
だっていつもこのことに関しては、自分一人で、黙って考え続けてきましたから。
誰も知らない。奥さんも知らないと思う。
だって人には言えないから。自分でさえ「こころ」にフタをしてきたくらいですから。
そしたら、矢作さん、フタあけてやんの。
びっくりですよ。こっちは。
だって25年以上守ってきたフタですよ。ワインだったら結構値段張るよ。
それをバカッて開けちゃった。
もちろん開けっ放しじゃなくて、それをどうしていくのが望ましいかもききましたが、なにせ25年ものですからね。さすがに3時間じゃ解決しませんよ。
で、結局どうなった?
セッション直後はそれでもフタ開けられちゃったなーとかくらいだったんですけど、それからずっと空いたフタのこと考えている自分がいるんですよ。
しかもボディブローみたいに日が経つにつれて、段々効いてきてる。
ほら、開けたら大変なことになるって思ってた通りだ。
もうね、開けちゃった以上、これを解決しないとこの先ないんですよ。
比喩ではなくて。
だってセッション中にワークでやったんですけど、フタが開いた状態では解決なくして、5年後が想像できないもん。
でもね、解決するには奥さんの協力が不可欠なんですよ。
あの難攻不落の奥さんですよ。正直めちゃくちゃ気が重い。
まあ難攻不落にしたのは、これも「こころ」のフタを開けなかった僕の責任なんですけど。
もう25年良くなるように考え続けたのに今の状況なんだから、そしフタを開けちゃったんだから、もう考えるの終わりにしたいんだよなぁ。
考えるのやめるんじゃなくて、解決して終わりにしたいんですよ。
そして、もうあんまり時間がない、いうなればフタを開けた以上、「人生の最後のチャンス」のような気が、今はしているんですよ。
まとめ
以前受けた「まなゆい」は基本全肯定ですから、これはこれでいいんです。明るい未来が本当に見えるから。
でも、同時に「こころ」のフタをあけなくても、それはできるんですよ。
だってなにが出てきても全肯定だから、わざわざフタをあけなくてもいい。
今回受けたセッションは、もうね、フタを見つけたら開けちゃうの。開けた上でどうしましょうがメイン。
いろんなメソッドがあって、一長一短と言っちゃえば確かにそうなんだけど、逆に言えば、人の「こころ」ってやつはいろんなメソッドが必要になるほど複雑で面白いものなんでしょうね。
一生かけても学ぶに値しますよ。宇宙みたいな感じ。
当事者は大変ですけどね。ほら、ボディブローだから。ほっとくと、どんどん効いてきちゃうから。
そして、もう僕はどうしても先に進みたくなったんです。