体の根本解決をするー365日のシンプルライフその2

ヤシの木が見える
青と白の事務所にて、、

前回のメルマガは
「365日のシンプルライフ」
という内容だった。

たくさんの反響をいただき
ありがとうございました。

このタイトルの映画に
影響を受け

服に対して
大切なものを1つずつ
選んでいく
という挑戦を始めて

まず1日目は
全裸からスタートした、、
という話だった。

今日はその続き。

前回のメルマガは
ブログでもアップしています
→[https://t-answer.net/?p=8791]

~~~

服を全て
袋につめこみ

全裸になって
あぐらをかき
パソコンをカタカタと
していた。

あまりの寒さに
「ヒ~ヒ~」
と悲鳴をあげていた。

時おりパソコンがズレて
体の下の大切な部分に
パソコンの角が当たり
驚きとあまりのひんやりに

「ヒ~~~!」
と、、
さらに大きな悲鳴をあげた。

本当に私は
何をやっているのか、、笑

1時間ほど経ち
最初の上下の
服を選んで着た。

温かさで
やっと落ち着いてきた。

~~~

私は
人生の大半のお金を
服にかけてきた。

長く、自分に
自信がなかったのだ。

見た目だけでも
良くしたくて

心の穴を
たくさんの服で
埋めていたのだと思う。

40代に入ってから
何を着ても
心の穴はうまらず
違和感が多くなった。

もういい加減
このモヤモヤを
根本解決したいと思った。

自分にとって
本当に大切な服とは
一体どれなのか?

私は服に
何を求めているのか?

その答えを求め
この取り組みを始めた。

●1日目

一番最初の気づきは
服のことではなかった。

服ではなく、、

「体」のことだった。

最近は
運動をしておらず
「もうありのままで
いいんじゃないか」
と開き直っていたので

締まりのない体に
戻っていた。

今の体が
嫌いというわけではない。

ただ、
全裸をまじまじと
眺めてみて

私は本当の意味では
自分の「体」から
逃げていたんだな
と、ハッとした。

~~~

10年ほど前
自分の「心」から
逃げ続けて

結果、働きすぎて
うつ病になった時と
同じだった。

そのままでは
死を覚悟しないといけない
となり

やっと覚悟して
本当の意味で
自分の「心」と向き合った。

心と向き合う道のりは
入ってさえしまえば

“苦しい道”ではなく
とても
“美しい道のり”だった。

どんなに
嫌なことに対面しても
心と向き合ってみれば

結局は
全て愛に辿りつく、
そうわかってしまった。

「なんだ、
この世界は美しかったのだ」
と毎回、泣けてくるのだ。

心と向き合って
本当によかった。

だけど
「体」と向き合うことは
本当の意味では逃げていた。

時に
ライザップに入ってみたり、、

時に
ベジタリアンになってみたり、、

そうやって
表面的には
お金と時間をかけて
体の改善をしていた。

でもそれらは全て
”つもり”だったのだ。

行動はしていたけれど
内側の半分は逃げていた。

このまま糖質を制限するのを
一生続けるなんて嫌だとか、

運動は本当は好きではないとか、
どこかで納得していなかった。

その証拠に
毎回リバウンドした。

今、これを書いていて
深呼吸を無性にしたくなって

深く、深呼吸をしてみた。

そして
「ああ、体さん、ごめん。。」
と呟やいた。

「今の体が
嫌いというわけではない」

この表現からして
やはり、おかしい。

例えば
人間関係において

「あの人のことは
嫌いというわけではない」

という時は
好きというわけではない、
愛しているというわけではない、
という意味を含んでいる。

自分の体との関係が
そんな中途半端なものなんて
嫌だ。

もう自分から
逃げたくないと思った。

人間はなぜ
本当に望んでいることから
逃げてしまうのだろう。

答えは明確だ。

怖いのだ。

きっと私は
深層心理では
自分の体と向き合うのが
怖かったのだと思う。

~~~

小学生くらいから
肌荒れが出るようになった。

皮膚科を点々とし
どこへ行っても

「アトピーかもしれないし、
またの別の
アレルギーかもしれない。
よくわからない」

と診断された。

奇妙な見た目だったのだ。

よく母に

「あなたは
人から気持ち悪いと
思われるから
服でもっと隠しなさい」

と言われた。

今、改めて
当時の自分の写真を
眺めてみると
実はそんなにも
ひどい見た目ではなかった
とわかる。

でも
母から何度も言われた言葉と
怪訝な表情から

私は
「目立ってはいけない」
というビリーフを
奥底に根付かせたのと思う。

当時の母もまた
自分の中に
何かを抱えていたのだろう。

このビリーフは
心理学を学ぶようになってからは
とうに気づいていた。

見た目が
コンプレックスだったから、

素敵な服を大量に買い
自分は大丈夫と
思いたかったのだ。

でもそれは
根本解決ではない。

表面的で一時的な
パーソナルトレーニングも
食事改善も
根本解決ではないのだ。

さらに
根本解決とは
全てを完全に完治する
ことではない。

完治できれば
それにこしたことはない。

ただ
もともと持っている
遺伝的な細胞とか
なんらかの理由で

私の肌荒れが
2度と起こらない
ということでもないのだ
と思う。

自分の努力では
どうにもできない領域が
この世界には存在している。

では
全ての分野における
「根本解決」とは
どういうことかというと、

実は「愛する」
ということだと思う。

相手を十分にみて
話しあうこと。

(今回の相手とは
=自分の体だ)

できることについては
前のめりぎみで
サポートすること。

ただのサポート行動ではない。

”前のめりぎみで”
が重要である。

ならなら
薄ら気味悪い笑顔で
スクワットする。笑

良くなったところは
共に成長を喜びあうこと。

そして
ネガからも逃げずに
共に感じること。

例えば
「体の衰えもあるね」

「痛みもあるね」

「そうだよね、痛いよね」

とか自分に声がけをして
共に感じるのだ。

こうした自己対話で
怖さから
安心の境地へと移動できる。

つまり、
やれることを
前のめり気味で関わってやり、
「安心」という感情が
増えてきたら
根本解決したと言える。

「心」と向き合うことを
この10年真剣に
やってきたのだから

「体」と向き合うこと、
根本解決に向けて
愛することを
今ならできると思った。

本当に時間がかかって
遠回りしたけれど、

今やらないで
このまま死にたくはない。

もっと
より健やかな人生に
なったらいいなと思う。

その上でスタイルは
私にとって、とても大切だ。

自分で思っている以上に
ここへの想いがあったと
気づくことができた。

例えば
ダウンタウンの松ちゃん。

彼はいつも
ジーンズに無地のTシャツ
というスタイルだ。

体と向き合っていて
筋肉モリモリ。

本人が
自分のスタイルを
気にいっているのだと思う。

彼は自分の体を愛している。

だから
その上に着る服はシンプル。
とても似合っている。

私もそうなりたい。

もちろんこれは
私の感覚である。

いろんなデザインの服を
着るのが
自分の歓びである人も
いると思う。

ということで、
服は服で
これから向き合っていくが

服の前に
大切なことは「体」であったと
気づいたのだ。

今後は
前のめりぎみで
微笑みを浮かべながら
運動する。笑

微笑みながら
ストレッチもする。

お風呂に
ゆっくり浸かりながら
セルフマッサージもする。

ここには
詳細は書けないような
妄想もする。

味わって
よく噛んで食べる。

夜は腹八分。

体さんに
「ありがとう」と
声もかけよう。

「私は体と向き合い
理想のスタイルになって
理想の服を着る」

と今ここに決断した。

このメルマガに
体のことは何度も
決断を書いてきたんだけど、、

何度でも決断していいよね。

はい。

~~~

自分の心と体を
大切しないで
一体誰を大切にすると
いうのだろう。

私たちは

自分の
心のマスターであり

自分の
体のマスターである。


あなたの
本当に大切なものは何ですか?

それを大切にしていますか?

根本解決はしていますか?

私は本当
まだまだです、、笑

今日もありがとうございます。

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