過去を認めるということ

海の近く白のセッションルームにて、、

「未来の話ならば
自分のこととして
ワクワクしながら話せるんです。

しかし
過去の話になったとたん、

自分のことなのに
まるでガラス一枚を隔てて
別の誰かを見ているような
感じになってしまうんです。」

と、あるクライアントさんが言いました。

彼女は
過去の自分を認めることができない
ということが起こっていました。

「過去を認めないと
先に進めないのでしょうか?」

としつもんしてくれました。
いい質問だなと思いました。

私は、少し考えました。

有名な心理学者である
アドラーは
「過去を気にしなくていい」
と言いました。

その通りです。

それが意味することは
「過去を無視しろ」
ということでありません。

「過去に執着しすぎなくていい」
と私は解釈しています。
私も同感です。

さらに私は
「過去を認める」
方がいいとも思っています。

過去を全てなかったことにしない
過去が今の自分を作っている
とも思っています。

過去の自分に納得できないことって
確かにあると思います。
私もあります。

だけど、
過去全部を否定してしまったら
これからもずっと
過去が作り上げた「今」を
否定することが起こってしまう。

私は彼女に
「過去を認める、の
『認める』という
言葉の解釈の違いではないですかね?」

と言いました。

『認める』とは
受け“入れ”なくてもいい、
受け“止める”だけでもいい、
ということ。

そこにあるのに
無視するということは
逆に変なエネルギーがかかってしまいます。

過去があるのだから
そこに過去がある
それを知っていればいい。

過去の全てを納得したり
全てを消化しなくてもいい。

そこにあることを
ただ抱きしめていい。

そういう感じかなと思っています。

さらに彼女に

「ところで、
なぜ、過去を認めたくない。
過去を直視したくないのですか?」

と聞いたところ、

「・・・、孤独だから。
ずっと、孤独だから・・・。」涙

と教えてくれました。

孤独だから怖かった、
直視したら、
それが増大しそうで、できなかった・・・

と言われてみれば、
認めることができないのも納得です。

「いつまで孤独だったのですか?」
と聞いたら

「・・・。今も、です。
ずっと・・・。」

と教えてくれました。

過去を受け止める前に
「孤独」について
ゆっくり話し合いました。

彼女は、自分の人生の目的は

「相手のことを少しでも想いやって
何かを伝え合える世界を作りたい」

ということに、
ゆっくりと気づき始めていました。

なるほどな
全ては繋がっている
全てに意味があるのだ
と思いました。

彼女は
とてもとても優しい方でした。

「あなたはとても優しい人です。

人生の目的もつまりは
『優しさを持って生きよう』
だと思います。

それが素晴らしい世界を作ると知っている。

あなたの強みである
優しさの原材料は何かわかりますか?


優しさの原材料は
『孤独』です。

『孤独』がたくさんの『優しさ』を
生み出している。

誰かの気持ちがわかる。
それを伝えられる力を養う。

孤独さん=悪者
というわけではないかもしれませんよ。^^」

彼女は
「孤独」が与えてくれる光を見つけ
少しの安心感を得たようでした。

孤独を感じながらも
ここまで来たのですから、
本当はとても強い人なのだと思います。

彼女の旅は、始まったばかり。

どうしたら
本当は孤独ではない時もあると
感じられるだろうか?

まず
私の存在を近くに感じてもらえたらいいなと
密かに想っています。^^

過去を認めていい。

受け入れなくてもいい。
受け止めるだけでいい。

少しだけ
そこに過去を受け止めてみたら、

きっと
最悪だと思う影の過去にも
光の面がある。

光の面を見つけることができれば、

自分自身を作り上げたものたちを
認めることが始まるのでしょう。

自分から逃れることはできない。

認めることをあきらめなければいい。

それだけなのだと思います。

今日もありがとうございます。

追伸、

孤独さんは
けっこういろいろと教えてくれる先生です。

噛めば噛むほど味わい深くて、
私はけっこう好きです。^^

 

 

 

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