”老い”を受け入れたとき、人は真理に近づく

40歳を過ぎた頃からでしょうか?

えっと、
何を着ても似合わないんですけど、、

一体私はどこで
服を買えばいいんでしょうか?…
と思っていました。

エンドレスジレンマ…

骨格診断に従って買ってみても
なんだか垢抜けない。

ヘアスタイルもそう

もう黒髪がいちばん、
と髪を染めなくなって
なおさら
自分に似合う髪型が
わからなくなりました。

有名なカリスマと言われる方に
相談して
その場では「いいね」と思っても、
数日たつと、

「あれ?再現できないんですけど!?」
となるわけです。

写真に写る
どこかふっくらした自分も
認めたくなくて
写真も撮らなくなっていました。

これがきっと
“老い”ということなのでしょう。

父が亡くなって
10年くらい経ちます。
最後の数年は認知症でした。

いつしか
車の運転ができなくなり、

いつご飯を食べたのかも
わからなくなって、

どこかへ徘徊が続きました。

いつも怒っていた父が
最後はニコニコして
私という存在も忘れていきました。

認知症はこんなにも
家族にとってきついとは。

いざ自分が体験してみないと
わからないことでした。

何度、心と向き合ってみても

「他の病気ならまだ
心の整理がついたのに、、」
とずっと思っていました。

老いていくこと、

死へと向かって
時計の音が
コクコクと刻まれていくことに
ただ”無”になることを
学んだ時でした。

しばらくして
新しい解釈を見つけて
ずいぶん楽になりました。

いろいろと苦労した父にとって
いろんなことを「忘れていく」
ということは幸せである。

という解釈もあると
見つけたのです。涙

この世の中は
全てが確定していない。
これが原理原則。

量子力学の
有名な基本原則
(不確定性原理)で
すでに証明されていますね。

全ての確率が
入り混じっているから
常にどちらにでもなりうる状態。

仏教で言えば
「色即是空」の
”空”の考え方。

“本当は何も実態はない”
という考え方がありますね。

いいも悪いも、本当はない。

だから
自分で解釈を決めていい。
決めるしかない。

私たちは心のマスターです。

どの解釈を選ぶのか?

年をとればとるほど
心と向き合い
少しだけ
また優しくなって、

そうして
真理を見つける。

服、ヘアスタイル?
心地よいもので
まあいいですね。

老いを重ねれば
重ねるほど
触り心地、ですよね。

今は
年をとっていくことが
楽しみでなりません。

はて、
100歳になったら
何をしようか?

詩集でも作るのは
どうでしょう?

単純なコトバでも
シワによって
勝手に凄みが出そうですよね。

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