絵を描き続けた少年の話

海のすぐ近く
青と白の
セッションルームにて、、

あなたの元に
一人の少年の
クライアントが来たとします。

少年は
ある自動車事故を
目撃したそうです。

自動車事故で
被害にあった男性は
片脚を切断され
路上に横たわっていました。

その痛ましい光景は
四六時中
少年の心の中に
浮かんでいるようでした。

少年はその光景について
語り続け
切断された脚と体の絵を
たくさん描きました。

少年の両親は
彼に色々な話をしました。

自動車事故は
滅多に起こらないこと、

そのことは忘れて欲しいこと、

もうあの時の絵は
描かないで欲しいと
頼みました。

しかし少年は
何枚も何枚も
あの痛ましい光景に
固執し続け
絵を描き続けました。

もしも、あなたに
このようなケースの相談が
来たとして
あなたはどうしますか?

10秒だけ
考えてみるのはどうでしょう?

これは
特別なケースに
見えるかもですが
意外とそうでもないのだと
思います。

人間は
過去のある痛い光景に縛られ、
自分でも気づかずに
そのことを
脳内で何度も繰り返します。

そして
自分には力がないと思い込み
本来の自分を
生きられなかったりします。

その囚われから
どのように脱出するのか?

そのヒントが
今日の内容に隠されています。

さあ、
10秒のシンキングタイム。

事故を見て
切断された脚と体の絵を
描き続ける少年に対して、
あなたならどうしますか?




これは以前にも
このメルマガで
紹介したこともあり
大反響をいただいた

アメリカの有名な精神科医
ミルトン・エリクソンの
有名な症例の1つです。

彼は
「最も最短で
最高の成果を出す
世界一のセラピスト」
とか

「心の魔法使い」
とも言われています。

私はエリクソンの
大ファンです。

さて
エリクソンは
一体何をしたのか?


エリクソンは
少年がたくさん描いた
脚を切断された男性の
痛ましい絵の中から、

彼の両親に
特にうまく描けている絵を
一枚選ぶように指示しました。

そして、
その選んだ一枚について
どこがうまく描けているかを
少年に伝え
しっかりと褒めるように
と指示したのです。

エリクソンも一緒になって
褒めました。

「とくにこの1枚は
血まみれの場面を
うまく捉えているね。
よく描けているね」

と。


驚きました。

私だったら、

血まみれの
見るに耐えない
痛ましい絵を
褒めることが
できるだろうかと。

褒めたら
少年は
もっとそのような絵を
描き続けてしまうのでは
ないかと。

切断された脚を
想像するだけでも
心の奥で
グッと痛みが走ります。

そうか、
私はクライアントである
少年ではなく、

両親側に入っていたのだと
気づきました。

できればそういった絵は
描いて欲しくない、
という気持ちが
先にあったのだと気づきました。

少年に対して
1枚の絵を褒めたあと
エリクソンは
少年にこう言いました。

「男の人の体と
切断された脚の距離は
それで正確かい?」

「体と切断された脚の距離は
何センチあるのかい?」

と。


エリクソンは少年と一緒になって
体と切断された脚の距離を
調べたそうです。

距離も含めて
もっと正確にして
少年に新たな絵を
描くよう頼んだそうです。

少年はさらに
距離も含めて
詳細な事故の絵を
描きあげました。


エリクソンは
一体何を意図して
このようなことを
やったと思いますか?

エクソンはのちに
こう解説しています。

「少年が直面しているのは
自分自身の両親が
その大惨事に遭遇する可能性
である。

彼は自分の将来について
心配しているのだ。

彼自身はそれを
多分理解していないが。

だから
こうしたタイプの不安は
論理的に取り組んでも
意味がないのだ」

と。

ここからは私の推測です。

つまりこうです。

論理的に
絵を描くことをやめて欲しいとか
そういった話は意味がないと。

また
少年はあまりのショックに
悲しみとか恐怖を
感じてる状態にはなく
感情は停止していたのでしょう。

だから
「悲しいね、怖いね」
とネガティブ感情への
共感は響かないと
エリクソンは
想定したのでしょう。

でも
少年の今のありのままの状態を
受け止める必要は
やはりあったのだと思います。

少年が今、
唯一表現している苦しみ
=痛ましい絵を描くこと

を肯定することにより
その深い深い恐怖を
一旦はしっかりと
受け止めたのだと思います。

それを描いてもいい
=恐怖があるのは当然で
表現してもいいと。

誰かが
「わかってくれた」
という深い受容は
本人の中で一旦着地し、
落ち着きへと入っていった。

次に
脚と体の距離を質問したのは
全体の痛ましい
恐怖の視点から、

一気に
体と切断された足の間に
クローズアップさせたのだと
思いました。

少年の止まった脳内が
新しい質問で
新たに動き出したことでしょう。

「一体、何センチなのか?」
と。

これにより
恐怖から脱し、
正確に描くことへと
視点が動いたのではないかと。

~~~

その後
エリクソンは
距離も詳細に描いた絵を
さらに褒めました。

そして
少年と一緒に
事故にあった男性が
その後助かったことを
調べました。
順調に回復したそうです。

エリクソンは少年に
その後の助かった男性の絵を
描くように頼みました。

少年は
その後の男性の絵を描くことで
幕引きの感覚を味わいました。

とうとう
幸せに暮らす希望を
もてるようになったそうです。


エリクソンの有名なやり方として
「利用」と「新たな方向づけ」
というものがあります。

まさしくこのケースは
少年が痛ましい絵を描いてしまう
という現状を「利用」し

ありのまま受容し、

その後の絵を描いてもらうという
希望の未来へと
「新たな方向づけ」を
指し示したのです。

~~~

今回の
エリクソンがやったこと
いかがだったでしょうか?

エリクソンは
『人間の心を修復させ
 希望の火を灯すこと』
について

重要なのは
「助ける人と助けられる人の
人間関係にある」
と言います。

エリクソンは
セッションする事前に
クライアントや家族に

失敗すること、
やったことが
うまくいかないこともある
という前提も話すそうです。

エリクソンの本には
「失敗することも全然ある」
と何度も出てくるんです。

その人間らしさに
またほっとします。

それでもいいのかと。

ただ、
小手先のテクニックではなく
相手の状況に入り込み、利用し
ありのまま受け入れて
希望を一緒に考えて
関わっていくだけです。

単純でシンプルな真理に
気づきます。

誠実に関わろうとすることで
すでに
希望へと進んでいるのでしょう。

だから
魔法使いというわけでは
ないのだと思っています。

人間は
「わかってくれる」人がいると
正気に戻ることができます。

今日の内容に
あなたは何を感じましたか?

今日もありがとうございます。

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