2020-06-16

もっとすごくなきゃ、をやめる

海沿いのサーフショップのカフェにて、、

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自分が長く苦しんでいたことは
「もっとすごくなきゃ」
ってことだったな
って思うんですよね。

お客さんから
旦那さんから
友人から

自分のことを
「すごいね」
って思われたかったんでしょうね。

なんとか
こうなりたいと思っていることを
なしとげても、

その瞬間には
もう次のすごいことを追いかけているから
全然、できた実感がない。

しかも自分ができたことが
「すごい」ということではなくて
「当たり前のこと」
と変換されてしまう。

さらに、もっと苦しくなる。

自分では全然自覚なかったんですけどね。

ふと、
私はいつまで満たされないのだろう?
って思ったんですよね。

このまま死ぬのかなって、
それは嫌だなって。

それで、もういい加減
なんか違うんだろうなと思いました。

心の奥と深く向き合ってみたんです。
本当の感情や思いを書き出すワークを
しました。

自分の内側と向き合って気づいたことは
突き詰めていくと
すでに気づいていた人たちではなくて

本当は母に
「すごいね」
て言われたかっただな、
って気づいてしまったんです。

気づいてみると
とても恥ずかしくて、苦笑いです。

でも、多分そうなんですよね。

これは無意識にある願いであり
心理学的な専門用語では
「ディープニーズ」といいます。

深いところで自分が求めていること、
ですね。

人間は
ディープニーズに対して
自ら、卒業を決めるまでは
無意識では何度も何度も
そのニーズを手に入れることを
試みるんです。

しかも
うまくいっていないやり方で
繰り返す。

それで
何度も何度も失敗するんですよね。

本当にもうね、
早く教えて欲しいですよね。笑

40歳もすぎてもまだ
心のどこかでは
母に認められたいんです。

もっというと
幼い子供の頃に
認めて欲しかった母というのは
=この世界
なんですよね。

母に認められるということは
この世界に認められるということ。

この世界に存在していい、
っていう許可だったんですよね。

だから、
もし、あなたが
「もっとすごくなきゃ」
ってどこかにあるとしたら、

それは
自分のありのまま以上に
「すごくあること」が
この世界に存在していいよって
認めてもらえる唯一の方法

と思い込んでいる可能性があります。

私は本当にそうでしたね。

これに気がついて
とても楽になりました。

自分の願いだと思い込んでいたこと、

例えば、

有名になること、
人気者になること、
もっと売上をあげ続けること、
もっといい服を着ること、

などが
自分の願いと思い込んでいたけれど
そうではなくて
この世界の集団の思い込み、
良しと洗脳されていること、
だったんだなって思いました。

集団ビリーフってやつですね。

これは、
もっと成長することをやめよう
っていう話ではないんです。

もちろん、もっと成長していい。

ただ、
常にもっとすごくなきゃって
鼻息荒く、今ここを感じないと
ずっと苦しいという話ですね。

今この瞬間を感じながら、
ありのままの今の自分が
すでに美しく、素敵なのだと
自分が自分に言いたいですよね。

ただ、そう決めるってことでした。

その上で
表面的で、物質的な豊さだけでなく
本当に願いに気付けるといいですよね。

例えば、私は
自然との一体感が
本当に願っていたことだったと
気づいたんです。

仕事も、
新しい何かのチャレンジも、
知らない人との会話も、
もっとすごくなきゃ、がなくなると
楽しいんだ、って驚きでした。

もしも
なんかずっと苦しいんだよな、
ということなら
それは他人の指標。

「もっとすごくなきゃ」
は過去にもっとこの世界に
認めて欲しかったという願い。

ここに時間を使う限り
満たされないので、
もうやめる。

自分が自分を認める。

それはとても勇気がいることだけど、
もうそれしかないのでしょうね。

私たちは
すでに、すごいんですよね。

今は
「もっとホッとしなきゃ」
「もっと楽しくなきゃ」
がいいかなって思っています。

今日もありがとうございます。

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